僕たちは習慣でできている

メモ箇所

 

ある研究によると、人の自由時間は1日7時間以上あると、逆に幸福度が下がってしまうそうである。身に沁みて、本当にそうだと思う。パスカルが言うように、人間は他の動物と違って何もせず、ただじっとしていることができない。時間のゆとりと、したいことができる自由は幸せの条件だと思う。しかし、それに浸りきることもまた、幸せではないのだ。

自由が多すぎることは幸福感とは比例しない

 

ぼくはこの「何かをやらない」ことで失われるものは「感情」、その中でも特に「自己肯定感」だと思っている。暴飲暴食をすれば血糖値は回復するが、後悔してしまう。自分が決めた習慣を達成できなかった時も同じで、自己否定感が生まれる。 「感情」「自己肯定感」をキーワードに考えればいろんな謎が解ける。

 

ラソンでは、沿道で応援してくれる人たちとハイタッチをしたりする。後半になって膝が痛み「もう限界だ」と思っていても、健気に応援してくれる子どもとハイタッチをすれば、もう少しだけがんばろうと思える。誰かが自分を応援してくれているという肯定感から意志力が生まれるのだろう。

 

レモネードを口に含むことや、ハイタッチをすることで生まれた喜びの感情は意志力を回復させる。反対に意志力を消耗させるマイナスの感情が「自己否定感」や「不安」だ。 自分が決めたやるべき習慣ができないと、自己否定感や不安が生まれる。そして意志力が失われるので、なおさら次の課題に取り組めなくなるという悪循環にハマってしまう。

 

 

して欲しいかどうか? この時、問いかけてみる価値があるのは「それを自分の子どもに習慣にして欲しいかどうか?」という質問だ。実際に子どもがいなくても、もちろんこの質問は成り立つ。 自分には欠かせないものになってしまっているが、できればやめたいもの。そこから学んだものは少なく、自分の子どもがそれをしたいと言っても賛成できないようなもの。終わった後に達成感や満足感ではなく、後悔が残るもの。 自分の場合だと、どうしてもやめられなくても、いろいろな言い訳が出てきてしまう。メリットをいくらでもでっちあげることもできる。 しかし、それを自分の子どもにも習慣にさせたいかどうかを考えると、少し変わる。

 

実際は過去にそれにつながる習慣を積み重ねてきたというだけで、それが不変というわけではない。自分はミニマリストだからと、本当に欲しいモノまで我慢していては本末転倒だ。今のアイデンティティが未来の行動を縛ってはならない

 

日記を続けるコツは、うまく書こうとせず事実を書くこと。日記を書くことを、ユーモアと教訓に満ちたエッセイを書くことだと思っている人は多い。そうすると大変なので続かない。『アンネの日記』は誰かに読ませる前提で書いていなかったが大ベストセラーになったという。しかし、「いつかは自分もアンネ・フランク」幻想はおすすめしない。誰かに読ませる前提で書かず、自分だけがわかる記録でいい。

 

 

これらハードルの作り方はひとえに、「自分の意志力」なんてものを信頼していないということだ。誘惑に勝てないこと前提で、自分の弱さと冷静に向き合っていると言える。